母を見送り、
初めて喪主となり、
私は天涯孤独になりました。
ただ、私はまだ「彼のいるアメリカで生活をスタートさせる」という思いがありました。
「いい人と出会ってよかった。私の事は気にせずに
自分が幸せになることだけを考えてください。
あなたが幸せになることが一番嬉しいことです。
自分の幸せだけを考えてね。」
これが母からもらった最後のメール。
ところが。。。。
どういうわけか彼が豹変し始めたのです。
あんなに優しかった彼が
- だまれブス
- あんたばかなの?
- よっぽど誰にも相手にされないんだね
- そんなんだからその年で結婚できないんだ
- どうしてこんな簡単ことが分からないの?何回も説明してやってるのに。どうしてこうもバカなの?
- これがあんたの人の好きになり方なんでしょうかね
- 更年期障害なのかよお前は
- 反省の態度と謝罪をしろ
- オバタリアンだな
この言葉を罵倒され・・・
それでも私は彼のことが好きでした。
彼のことが・・・というよりは
豹変する前の、愛情たっぷりで不器用でシャイな彼と
今の彼が同一人物とは思えなかったんです。
が・・・・極め付けに・・・
母が亡くなり半年後、3泊だけ日本に帰国することができた彼は
「仕事」と称して女の子とご飯に出かけ
朝まで帰ってきませんでした。
その次の日もその彼女とランチしたそうです(後日発覚)
この話がバレた時の言い訳は
- 彼女のことは好きじゃない
- 好きじゃなくても食べることってあるじゃない?
- 浮体っていうのかな、こういうの
浮気だけはしないだろう
人の痛みがわかる人だ、と思っていた私にとっては
こんな衝撃なこと・屈辱的なことはありませんでした。
貴重な日本滞在時間の3日のうち、
彼は1.5日をその人と過ごしたんです。
そしてその彼女とは
私が母を亡くした1ヶ月後からスタートしていて・・・・
その頃から彼の態度が豹変しだしていたんです。
結局、3日間の滞在中、一度も私と食事する事なく帰国していきました。
彼が帰国してからは、
メールしても無視、電話も無視。
無視されるということ、
Lineを既読スルーされるということは
私にとっては
私は愛されない存在だ
という思いを思い出させるのに十分でした。
その後彼との別れ。
母を亡くして彼をなくす。
私を支えていたものが2つ無くなり
残ったのは言葉の暴力だけ。
そこから一度よりを戻したのですが
彼は元の彼に戻ることはありませんでした。
私は彼の言葉がどんどん突き刺さり
- 私が人を愛するやり方は間違っているのか
- そもそも人から愛される人ではないのではないか
- 誰かに愛されるなんておこがましいことなのだ
- 私は人として失格
とまで思うようになり、全てに自信がなくなりました。
周りのお友達は
そんなことないよ!他にもいるよ!と言ってくれたけど
私の心はがしっと閉ざされてしまったんです。
毎日寝る前には
大好きな彼が他の人と連絡し朝まで過ごしたシーンを思い
朝起きれば
彼から連絡がない「現実」を噛み締め
仕事にいってもうまくいかず。。。
これが私の人生なんだ、と思っていました。
飲んでも眠れない、
食べる気にもならない、
出てくるのは涙だけ。
そんな日々が続いたころ・・・・
私の中に一つの光が見えてきたのです。